エビデンスには「階層」がある

EIMEI教育グループ代表・川上大樹の著書『教えなければ子は育つ ― AIに負けない「考え抜く力」を授ける見守り術』エビデンス増補版より、毎日すこしずつお届けします(4/26)。増補版では、中室牧子『「学力」の経済学』をはじめとする教育経済学の研究を各章に織り込みました。この連載では、増補版で新しく書き下ろした「根拠」の部分をお届けします。

この本は、放っておけば最下層です

さて、ここからが本題です。

「エビデンス」という言葉は、いまや総理大臣の演説やテレビCMにまで登場するほど一般的になりました。しかし、ひとくちにエビデンスといっても、その信頼度はまったく違います。

1998年にオックスフォード大学の研究者らを中心に提唱された「エビデンスの階層」という考え方があります。信頼できる順に並べると、こうなります。

信頼度エビデンスの種類教育でいうと
高ランダム化比較試験くじ引きで二群に分けて比べた実験
↑非ランダム化比較試験くじ引きではないが、比較群を置いた検証
↑観察研究(コホート研究など)大勢を長期間追跡して関係を調べたもの
↑症例報告「うちの塾のAくんはこうでした」
低論説・専門家の意見や考え「私はこう思います」

もう一度、いちばん下の行を見てください。

「専門家の意見や考え」は、エビデンスとしてはもっとも階層が低いのです。

テレビで教育評論家が「ご褒美で釣ってはいけません」と語る。それは、階層の最下層に位置する情報です。誰がいつどうやってデータを取ったのかの記載もなく、あたかも根拠があるかのように書かれた記事は、そもそも階層に乗ることすらできません。

そして——ここは正直に申し上げなければなりません——私が現場で見てきた4000人の話も、放っておけば「症例報告」か「専門家の意見」です。つまり、下から一段目か二段目。

だからこそ、私は本書を書き直すことにしました。

私の経験と、世界中で行われた実験の結果。この二つが一致しているところを本書の軸に据える。一致していないところは、隠さずに「私の実感とは違うが、データはこう言っている」と書く。そうすることで、この本を、単なる一塾屋の体験記から一段引き上げたいと考えたのです。

米国が20年前に決着させたこと

日本の教育行政では、いまだに「私の経験によると……」という発言が政策の議論に堂々と登場します。経済財政諮問会議の議事録を読むと、教育の専門家とは言えない大臣までもが経験談を持ち出しています。一方で、文部科学大臣が財政政策について「私の経験から」と語る場面は見たことがありません。そんなことを言えば、即座に「根拠は?」と問われるからです。

米国は、この状態を2000年代の初めに脱しています。2001年に成立した「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind Act)」の中で111回も使われた言葉が、「科学的な根拠に基づく」というフレーズでした。続く2002年の「教育科学改革法」によって、自治体や教育委員会が国の予算を得るには、自分たちの政策にどれだけの効果があるのかを科学的に示さなければならなくなりました。

日本の教育は、この点で20年以上遅れています。そしてそれは、家庭にも同じことが言えます。「私の経験では」「ママ友がこう言っていた」「有名塾の説明会でこう聞いた」。それらを根拠に、大切なお子さんの時間とお金を投じてよいのでしょうか。

もう一つの作法——海外の実験は、日本にそのまま当てはまるとは限らない

もう一つだけ、先にお伝えしておきます。本書でご紹介する研究には、米国やケニア、マダガスカルで行われたものが多く含まれます。ある場所で確かめられた効果が、別の場所でも同じように出るとは限りません。これを「外部妥当性」の問題と呼びます。

たとえば、後ほど登場する「教育の価値を伝えるだけで学力が上がった」というマダガスカルの実験は、教育のリターンが広く知られていない社会での結果です。日本の家庭で同じ効果の大きさが再現される保証はありません。

ですから本書では、日本の大規模データがあるものはそれを優先し、海外の研究は「方向性を教えてくれるもの」として扱います。効果の大きさの数字まで日本でそのまま再現されると、お約束するものではありません。

EIMEIグループ(エイメイ学院・明成個別・EIMEI予備校)では、この「自学自伸」の考え方で子どもたちの学びを見守っています。無料体験・ご相談はお気軽にどうぞ。

この記事を書いた人

HIRO 川上ヒロ先生